交換留学は大学院留学への最高のドーピングになる件 – 【原体験ベースでお話します】

留学



(夜のエディンバラ市街、2011年撮影)

こんにちは、Takaです。

タイトルの通り、交換留学は大学院留学への最高のドーピングになります。

私は学部時代にスコットランドのエディンバラ大学に1年間交換留学し、外資系投資銀行での勤務を経て大学院はハーバードデザインスクールに進学しました。

もちろん私は交換留学に行く前から大学院留学を決めて計画的に動いていたという計画性のある人間ではありません。実際、理性ではなく感性の人間だとよく言われます(笑)。ただ、交換留学から日本に帰国する際に、もう一度海を渡りたいとは思うようになっていましたが。

さて、前置きが少し長くなってしまいましたね。

「学部時代の交換留学は大学院留学への最高のドーピングになる。」
そう言い切れる理由は大きく3つあります。

  • 英語で学ぶことへの抵抗がなくなる
  • ゼロから信頼を勝ち取る力が身に付く
  • マイノリティとして生きることで柔軟になれる

では、早速見ていきましょう。

英語で学ぶことへの抵抗がなくなる


(エディンバラ旧市街とバグパイパー、2011年撮影)

私は所謂純ジャパで、大学での交換留学が自分にとって初めての長期留学でした。交換留学に行くまでは「英語を学ぶ」ことはあっても「英語で学ぶ」という原体験は余りなかったように思います。

エディンバラ大学での交換留学の中で私は英語での授業スタイルや課題のやり方に慣れることができました。例えばエディンバラ大学には授業とは別にセクションという時間がありました。これは授業の課題として毎週出されるリーディングを各自が読み込んだ上でクラスメンバーとのディスカッションを通じて理解を深める半強制的な補講のような時間です。

ハーバード大学デザイン大学院時代にも、都市計画・デザインの歴史と理論の授業を受講している際には同様の時間がありました。ハーバードはオックスブリッジなどイギリスの伝統的な教育体系の系譜を引き継いでいるので、同じようなシステムがあるわけです。

また、英語でのアカデミックライティングにある程度慣れていたおかげで、大学院時代にもエッセイやレポート系の課題でも、書くこと自体にはさほど苦労しませんでした。挙げればきりがないですが、例えば引用のルールや使える言い回しなど。

もちろん、エディンバラに留学したての頃はエッセイを書いてもボロボロで苦労しました。ネイティブの学生がエッセイを添削してくれるサービスがあり、毎週のように通っては赤ペンだらけになるエッセイを必死に書き直したものです。当時はしんどかったですが、苦労しながらも努力を積み上げたことが今に生きています。

一度「型」を習得してしまうと、同じ課題や問題に直面したときに抵抗は少なくなります。加えて、内容の深堀りや論点の整理などもっと核心的なことに時間を有意義に使えるようになるはずです。

英語で学ぶこと、そして英米のスタンダードで学ぶことに慣れていたおかげで、ハーバード大学院時代はより深い学びに集中できたような気がします。

ゼロから信頼を勝ち取る力が身に付く


(ラグビー部のチームメイトと、2012年撮影)

自分のこれまでの実績や肩書が評価されない、あるいはされにくい環境に身を置くと、人は圧倒的に成長します。そして、自分に鞭を打つ強さがある人は、結果的には周囲にも優しくできると私は考えています。例えばゴリラ、強くて優しいですよね。

例えば所属先や学歴といった権威性。日本で慶應と言えばある程度の社会的評価はありますが、スコットランドでは「何それ美味しいの?」てなもんです。日本だと評価されていたものはスコットランドでは通用しませんでした。

学歴に限らず、所属先、学歴やタイトルといった権威性は時と場所を選ぶ、そしてそれらは単なるお飾りに過ぎないということを身を持って学びました。仕事も同じ、一つの職場で評価されるスキルやタイトルは場所を変えれば全く役に立たないというのはよく聞く話ですよね。結局は「個の力」なんです。

自らの「これまで」が評価されにくい環境で生活することで、人はどうすれば信頼や徳を積むことができるか、自分自身の真のバリューは何かを問い直すことになります。

例えば人生がRPG(ロールプレイングゲーム)だと仮定してみましょう。それまで日本というゲーム世界で集め身に付けてきた武器。それらを全て取っ払って生身で挑戦することを選んだとき、人はまた真っ新な頭でどうすればいいかを考えるはずです。そこに能動性、創造性の源泉があると私は思っています。

知らない土地、慣れない環境で生活し学ぶ。加えてネイティブではないというある種のハンデを負いながらも、もがきながら必死に食らいつこうとする。「孤独」のなか、ゼロから周囲の「信頼」を勝ち得ていく原体験は一生の財産になります。もちろん辛い局面もたくさんあります。ですが、その中で諦めずにもがく中で人はプロアクティブに、そしてクリエイティブになれるはずです。

例えば私はエディンバラ大学ではラグビー部に所属していましたが、入部当時のことを鮮明に覚えています。上記の写真を見て頂ければわかりますが、ほぼ9割が白人、しかも皆強いスコティッシュアクセントで何を言っているか分からない、そんな環境です(笑)。

周りからしたら私はどこの馬の骨とも分からない日本人なわけです。そんな環境の中、皆の信頼を勝ち得てチームの輪に入っていくのには本当に苦労しました。悔しくて練習後のシャワーで泣いたことも一度や二度ではありません。逃げるのは簡単でしたが、なんとかしがみつき、少しずつ周囲の信頼を得ていくことができました。

20歳の時のこの大変な原体験のおかげで、大学院留学も同じ心づもりで臨むことができました。

もっと言ってしまえば、この「挑戦する勇気」、そしてその先に得られる「ゼロから信頼を勝ち得る力」は留学に留まらず、人生の様々な局面で生きてくるはずです。

マイノリティとして生きることで柔軟になれる


(アーサーズシートからエディンバラ市街を望む、2012年撮影)

私が留学に一番感謝しているのは、マイノリティとして生きる原体験かもしれません。ここで私の言うマイノリティとは、人種・民族的なマイノリティを指しています。例えばイギリスやアメリカでアジア人、「日本人」という少数派として生きた原体験を指します。

恥ずかしいことですが、私は日本で暮らす中でマイノリティとしての苦悩を経験したことは余りなかったように思います。むしろ「日本人」として様々な社会的恩恵を享受していました。

前述の通り、私はエディンバラ大学でラグビーをしていました。数十人の白人の中にアジア人は確か2人だったように記憶しています。日本生まれ日本育ちの私は最初スコットランドのカルチャーやスコティッシュ訛りの英語も分からず、チームメンバーと親しくなるまで苦労しました。その経験は否応なしに「自分はマイノリティなのだ」という気付きを与えてくれました。

どうしたら仲間の輪に入れるのか。そんなことを毎日四六時中考えていました。結果として、日本にいた頃に比べて他者や周囲といった全体のこと、そしてそこに自分がどんなバリューを提供できるかを考える癖が身に付きました。

この思考はハーバードに留学した際、そして外国人としてアメリカ現地企業で働く中でも役に立ちました。300人いる勤め先では唯一の日本人でした。(お抹茶を振舞ったりして文化の橋渡しやコミュニティづくりもしました。)そして思考、自身の性格が柔軟になったことで、同じようなペインを抱えておられる方、マイノリティとして苦しんでおられる方のことをきちんと考えるようになりました。

そんな原体験の積み重ねがあるからこそ、今はより柔軟な発想で他者や物事を考えることができます。例えば日本は島国で人種や民族の均質性も高く、女性の社会進出、外国人参政権やジェンダーなど多様性の受容一つとっても課題は山積しているということにも気付けるようになりました。

世の中のたいていのことはマジョリティ向けに制度設計されています。換言するとマイノリティにとってある種排他的な傾向を持つということです。そしてそういった側面への気付き、問題解決へのパッションは自身が今日本で取り組んでいる新たなチャレンジであるU Shareの原動力にもなっています。

言わずもがな、アーバンプランナーは社会に住まう人々のために尽くすのが仕事。私の所属する米国都市計画家協会の倫理にもソーシャルエクイティの重要性は掲げられており、「マイノリティとして生きた原体験」が今の私の考え方の根幹を成しています。

(おまけ)エディンバラ大学交換留学時のブログ記事

エディンバラ大学留学へ – 出発前夜

こちらはエディンバラ大学留学に際し、出発前夜に書きなぐった2011年の記事。当時の自分はまだまだ青二才。若干お恥ずかしいのですが、良ければ併せてお読みください。

自分のこれまでの評価が通用しにくい世界に行って新たな挑戦をするのだという気概と不安の入り混じった感覚を、つい昨日のことのように思い出します。今だから言えますが、そんな感覚は挑戦する人だけが味わえる幸せなものなのだと思います。

そしてそんな感覚をこれから留学を目指す人にも経験して頂きたい。不安が勝っていたり、様々な事情で留学するかどうか悩んでいる。そんな方々の背中を少しだけ押してあげられれば。そんな思いで今この記事を書いています。

エディンバラ大学留学を終えて – Stay Awesome

こちらはエディンバラ大学への交換留学から帰国し、振り返りの時間を持った際に書いた記事。こちらも良ければ併せてお読みください。

当時20歳の私は「また海を渡ろうと思う。世界は広いし、日本にいるだけじゃもったいない。」と決意表明していたようです。その思いの灯は消えることなく、帰国から4年経った2016年にはアメリカに渡っていました。思いは必ず実現します。

最後に

今回は学部での交換留学がもたらす大学院留学へのベネフィットについて書いてみました。気づけば今回もがっつり5,000字近い記事になりました。

申し添えておきますが、この記事の内容はあくまでも私の原体験に基づく一個人の意見です。海外経験が無い中でさくっと大学院留学に来ている友人も多くいます。なので数あるケースの一例として捉えて頂ければと思います。

これから様々な形で留学を目指す方にとって少しでも参考になる情報が提供できていれば嬉しく思います。

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最後までお読み頂き、有難うございました。

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