ポール・モーリアの思い出 – ピレネーの懐に抱かれて②

雑記


その日は突然やってきた。
2006年、11月3日。ポールが亡くなった。
当時私は高校1年生、高校の生活にも慣れてきたころだった。

何十年来の母親の「追っかけ友達情報網」で、ポールの死を知った。
母親は泣いた。
同じように私も泣いた。母親があれだけ悲しそうにしている姿をそれまでに見たことがなかった。

どんな曲も彼の手にかかれば、その装いを変えた。時に優しく、時に熱く、そして時には物悲しくもなった。
ギターやドラムといったオーケストラに馴染まなそうに見える楽器にも、彼は生命を吹き込んだ。
彼の音楽には「和」があった。
それは「音楽」を熟知していたポールだったからこそ成し得たことだった。
なかでも、体にまで伝わってくる躍動感のあるストリングス、繊細なピアノとチェンバロの音色は印象的だった。

大学1年の11月、母親が一週間早い誕生日プレゼントをくれた。
ポールのメモリアルコンサートのチケット。
母親らしいプレゼントだった。
「ポールちゃうからなぁ。」
そう言っていた母親も、コンサートが始まって彼の遺した音楽を聴く内に幾分かは満足していたように見えた。

「お客さんはみんな私の友達です」
コンサート中、ポールの言葉が蘇ってきて私の涙という涙をさらっていった。

コンサートで渡した花束を受け取りながらにこっと微笑んだポールの優しい、くしゃっとした顔。
下手な「ディスイズ チョコレート フォー ユー」を褒めて頭を撫でてくれたポール。
そして、母親の青春時代を愛情のある音楽で彩ってくれたポール。

色んな「ポール・モーリア」が私の頭の中で浮かんでは消え、消えては浮かびした。

言葉では表しきれないたくさんの「ありがとう」。
その思いを他の誰でもないポールに伝えたかった。

(続く)

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