メディチ亡き後、フィレンツェの優しい時間
“うっかりしてたらテレビやネットが自分の生きる世界と思い込んでしまいそうな昨今、上下左右、内にも外にも広がる、この可能性に満ちた不思議な世界を、スイモアマイモ堪能したいのであります。”
引用元:窪塚洋介(著)
『放浪 (旅学BOOKS)』(サンクチュアリ出版、2011年)
(ドゥオーモ)
芸術の都、フィレンツェ。
ボッティチェリ、ミケランジェロにダ・ヴィンチ。
歴史に名を残す数々の画伯を生み出してきた、イタリアはトスカーナ州の州都フィレンツェ。芸術作品を多く所蔵しているフィレンツェは、修復士の数が多く「修復の街」としても有名。
壮麗な大聖堂、厳かで立派な宮殿に開けることすらためらわれる宝箱のような美術館。
尽きることのない歴史的な観光名所。
アルノ河を挟んで両岸にひしめく赤い屋根の数々。
夕暮れ時、沈む太陽の赤さと一体化する街の風情。
少し触れば壊れてしまう。そんな繊細なガラス細工のような街。
自分の乏しい語彙からはそんな形容しかできないけれど、フィレンツェはそんな街。
路上には芸術を生業とする人たち。
フィレンツェを観光していると、ふと3年前に訪れたオーストリアはザルツブルク(ザルツブルグと呼ぶかは諸説あります。)を思い出した。
どうも街の感じが似ている。そう思った。
ザルツブルクは、かの有名なモーツァルトを生んだ音楽の街。
大司教が統治していたザルツブルクがハプスブルク家の領土になるのは歴史的に言えば19世紀。ナポレオンの侵略のころ。
その後ハプスブルクが芸術家を庇護したことは言うまでもなくとても有名なこと。
少し考えていると、2つの共通項に気付く。
まず、フィレンツェ、ザルツブルクのどちらの街にも芸術に命をかけた人々がいたということ。
次に、それを庇護した皇帝たち(=パトロン)が存在したということ。
因数分解してみるとなるほど納得した。
ローマに比べればこじんまりしていてナイトライフも決して充実しているとは言えない。
ヴェネツィアに比べれば華やかさに欠けるかもしれない。
でも、ここフィレンツェには他には無い落ち着きがある。
優しい時間の流れる場所、フィレンツェ。
決して主張しすぎず、凛とした美しさを讃える女性的な街。
芸術のみならずどの分野においても、創り出すこと、すなわちCreativityこそが素晴らしいとされがちな昨今だけれど、昔の姿をできるだけ忠実に再現することも芸術の一つの姿。
いつも美術館で楽しく絵を鑑賞できているのも、修復士の方々のおかげだなぁなんて。
優しい時間が流れるフィレンツェでは、今この瞬間も、一度色を失った絵画たちが時の流れに逆行するかのように修復士の助けを得て少しずつ、けれど確実に本来の艶と色合いを取り戻している。
(アルノ河とヴェッキオ橋)
(市場で飲んだトスカーナオレンジの絞り立てジュース、美味でした。)
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