エディンバラ大学ラグビー部 – 忘れ物
忘れもしない11月8日、火曜日。
泥まみれになりながら、スコットランドの芝の上でつかみ取った初トライ。
自分にとっては大事な大事な1トライになった。
「Taka!!!!!!!!」
仲間が駆け寄ってきて肩を抱いて声をかけてくれた時の、あの胸の震えるような感動は一生忘れないだろう。
高2の夏までに、度重なる3度の右足の骨折。
ドクターストップ。ラグビーをやめた。
「大切なのはどの道を選んだかちゃうから。選んだ道をどう歩むかやで。頑張れよ。」
JAPANにも選出されていた一個上のキャプテンにいただいた激励の言葉。
生徒会長をやったり、政府行事に参加したり、JSECで数学研究を発表したり...。ラグビーをやめた後は、違うフィールドで頑張ってきた。
でも、ラグビーをやりたいという気持ちに嘘はつけなくて。
大学2年の夏から再開し、医者の指示のもと細々とやれる範囲でやってきた。
思い返せば、初めて骨折したのは中学3年の夏。シーズンまっさかりのころだった。最後の大会に間に合わすために8割骨がひっついた段階で復帰、その後県大会で優勝するまでは持ったものの、近畿大会一回戦の日に再度骨折。11月13日、誕生日のことだった。
高校入学後も、治療に時間をかけることを前提に入部。病院に通いながらラグビーと向き合う日々が続いた。
しかし、ドクターストップと自分の満足のいかないプレーに対する情けなさで退部した。
ラグビーをやめれば、中学からずっと一緒にプレーしてきた仲間と花園という夢を追うことを諦めることになる。仲間を裏切ることになる。そう思いながらも自分は花園を目指すことをやめた。
振り返れば、今までの人生でした一番大きな決断だったと思う。
でも、あきらめることなんてできなくて。
医者にはとめられているけれど、もうどうにでもなれと。
自らの身体をはって大切な人たちを守ることを教えてくれたラグビー。
そのラグビーでもう一度ケガをするなら本望だと。
昨年の誕生日、11月13日。
慶應義塾の交換留学面接選考の日。スコットランド、エディンバラ大学への留学のチケットを得た。
ラグビー発祥の地、イギリスへの留学。
これは、高校時代にした大きな大きな「忘れ物」を取り戻しに行くチャンスでもある。そう思った。
「悔しさと共に涙を流してこい。」
ラグビーをやられていた大好きな社会人の先輩から出国前にいただいたお言葉。
これまでのスコットランドでのラグビー生活で流した涙は2種類。
悔し涙と嬉し涙。
これからはどちらの涙をたくさん流すことになるんだろう…
それとも、これから流す涙は自分の知らない種類の涙になるのだろうか。
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